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2020年 活動状況

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大久野島港の近くの待合室にて 忠海港の待合室の前で撮影 期日 令和2年12月17日 行先 大久野島一周ウォークと休暇村大久野島での忘年会
参加者 6名(代表 元谷義治)
 園田さん、萩野さん、松田さん、船津さん、元谷が2.
 毎年、ヤマガラの会では12月は忘年会登山を計画している。
昨年は、岡山県玉野市の玉の湯で忘年会登山を行った。
登山といってもこの時は宇野港の公園にあるモニュメントを見学して歩いたのであった。
 皆さんに呼びかけた当初は10名以上の酸価の連絡があったのだが
新型コロナの増加傾向もあり電車と船を使って行くし、大久野島は最近 
は、うさぎの島として有名になり、外国人もたくさん訪れていた。
観光客が多いということも影響している。
 参加できる方だけでもいければいいと実施することになった。
 軽く登山した後は、お風呂に入って、それから忘年会といった具合に進められる。
 お風呂は、近いところの、みはらし温泉は閉鎖しているし
尾道市の平原に、平原温泉、ぽっぽの湯がある。
福山市には、鞆の浦の仙酔島の国民宿舎にも行った。
花の湯とか、スーパー銭湯のゆららとか。
コロナの湯もあるし、神辺にグランの湯もある。
 まだあるのか知らないが、ヘルス福山とか、共和国Zとか。
そうそう、和気富士に上った後、温泉に入って会食したこともある。
 世羅町の甲山の世良温泉に行ったこともある。
 この近くの山城が鉄筋コンクリートで再建されている山に登りその後にお風呂に浸かったのだった。
 今回の大久野島も忘年会ではないが、10年前くらいに、メンバーの山田先生が大阪に帰るので
ヤマガラの会を去ることになった時に大久野島に行ったことを思い出す。
 このグループで大久野島に行くのはその時、以来だ。
  忠海港の切符売り場と売店は新しくきれいになっていた。
職員のお姉さんが丁寧に話してくれた。
やはり観光客が増えたから売店兼切符売り場も新築したのだろう。
うさぎをその店や船にもあしらっていた。
 大久野島には高速船のほかにフェリーでもいける。
 今回は行はフェリーで帰りは高速船だった。
高速船は、「大久野島丸」と書いてあった。
休暇村大久野島のものなのかな。
 まあ、フェリーで大久野島港に下船した。
大きなダンプやトラックが下りて行った。
 護岸工事をしていた。
ダンプはすぐに土砂を他の場所から護岸工事の場所に運びだしていた
そのうちにいい岸壁ができるだろう。
 豪雨災害の後、大久野島を一周する道路は何とか通れるが
大鉄塔や元展望台跡や高射砲陣地の跡などには行けないように通行止めとなっていた。
もう2年も過ぎるのに工事は進んでないのだ。
 だが一周はできるので、時計回りに歩いた。
そうしろと案内されていた。
毒ガスの遺跡を各所で見ながら歩いた。
 休暇村のまえを過ぎて、テニスコートを過ぎて
毒ガスのタンクの跡を過ぎて、島の西側に来て、道は上り坂になる。
ぐるりと右に回って北側の道になる。
本土の竹原氏を見ながら海面より高い場所を東に移動する。
工事の方や車両などがあった。
 右回りとなっていたのに
反対側から来る観光客とすれ違った。
跡からも来ていて、2、3人に会ったかな。
 島の東に出て、発電所の跡があったディーゼルエンジンで発電していたようだった。
 すこし歩くと大久野島港に着いた。
一周したのだ
待合室でコーヒーなど飲んで休憩した。
 うさぎがたくさんいた。
一周する間にも道にうさぎが出てきたりしていた。
小さなうさぎでアナウサギというらしい
 穴を見ることができた。
うまれたばかりのあかちゃんうさぎもいた。
700羽くらいいるのかな。
 うさぎにやる餌を持ってくればよかったと思った。
ミカンを持ってきていたが皮を食べるうさぎもいたが
この島でうさぎに餌をやっているようだった
うさぎの水飲み場もあった
餌が乾燥食なので水がいるのだろうと感じた
 12時過ぎて休暇村大久野島に入った。
 早速、お風呂に入った。
 男性風呂は私らが入るとひとり脱衣場にいてすぐに出られた。
後は誰も来なかった。
私ら2人の貸し切り状態だった。
女性風呂は初めから私らのグループだけだったとか。
 レストランも13時に行ったがほとんどいなかった。
私ら6人の貸し切り状態だった。
 時間が遅かったので11時から13時までは何人か食べられていたような雰囲気があった。
 ランチメニューの中から個人が選んだものをそれぞれに注文して楽しく食べた。
 一周約4キロとお風呂に入ったので、生ビールがおいしかった。
 1年間のヤマガラの会の山登りの記録をみんなにわたして
今年の山登りの話に花が咲いた。
コロナにもかかわらず、三原山には行けなかったが
近場の山には何とか行くことができた。
 野外なのでみんなも参加してくれたのだろう。
こうつうきかんが長い時間乗ったり乗り換えて遠くに行くのは辞めて
電車かバスあるいは船でひとつ乗る程度の近場選んだのだ。
 あれこれと中止や延期になる中、近場でも山登りができたのは、ありがたい
 いろいろと歓談しながら忘年会の食事は終わった。
 来年も続けられたらいいなと話しながら、帰途に就いた。




高坂自然休養村管理センターの前で撮影 期日 11月19日(木)
> 行先 仏通寺  三原市高坂町
参加者 10名(代表 元谷義治)>
 木村夫妻、薗田さん、萩野さん、橋本さん、松田さん、三吉さん、安永さん
元谷が2.

 ヤマガラの会で仏通寺に行くのは何度目かである。から大峰山610メートルに上って、下山でぶっつうじに向かったものである。
 今回は仏通寺でのアゼリアガイドによる案内を受けるためもあって、大峰山に登るのは辞めて
高坂自然休養損を散策してから仏通寺に行くという計画にしたのだ。
 紅葉の時期で路線バスに加えて臨時便が出ていた。
 三原駅を出ると途中乗車も下車もできない。
仏通寺行きなのである。
 途中から乗りたかったメンバーもいたが
三原駅に出る四華なかった。
 半分以上の席が埋まっていた。
マイカーでやってくる人も多くて交通整理をする方も何人も出ていた。
一方通行にしていた。
 路線バスは別で仏通寺の停留所に着いた。
 少し10分程度、道を引き返して、高坂自然休養村入り口を見つけてそこから坂道を上がっていった。
 牡丹園とかブドウ狩りとかあるのだが時期が違うのでそのまま通過した。
11時過ぎに管理センターに着いた。
 早めの昼食を摂った。
やはり記念写真を撮った。
 13時にアゼリアガイドの方と待ち合わせがあるので
 12時過ぎには下山開始した。
 案の定、仏通寺の手前で待っていてくれた。
 本堂の中にこの期間だけ入ることができた。
 障碍者割引がきいて、みんな無料になった。
小早川隆景が関係している。
たくさんの金品など寄進している。
本堂の天井に竜がおり、荘厳な感じが出ていた。
いつも見られるわけではないので、得をした気分になった。
アゼリアガイドの小森さんや津島さんはよく調べておられるのに感心した。
 仏通寺は何回も来ているがやはり説明を聞きながら見学するとより興味が沸いて、来る。
知らなかったことがたくさんあった。
 うわべだけ知っていたことに驚いた。
 そういえば座禅に1泊2日できたこともある。
座禅堂や食堂など行ったことを思い出した。
野座といって野外で座禅をする方もいた。
 紅葉のきれいな箇所で写真を撮った。
 二重の塔に階段を200段くらい上がっていった。
イチョウの大木があるのだが、落葉していて、その周りはイチョウの絨毯になっていた。
 二重の塔の周りをあるくことができた。
観光客がその周りを歩いていた。
 記念写真をまた撮った。
アゼリアガイドの小森さんも入ってくれた。
 高い位置にあるので下に仏通寺の本堂が見えた。
 仏通寺川のせせらぎが聞こえて
大きな杉がいくつもそそり立っていて
街中には感じられない静かな雰囲気が醸し出されていた。
雪舟が暮らした建物があったという箇所も説明してくれた。
雪舟もどんな方か想像した。
雪舟は岡山生まれで山口の瑠璃光寺やその近くの寺院に在留していたようだ。
 紅葉のスポットは一部だが、この時期、高溶は最高だった。
 私が拾っていたものだがほしいというのであげた紅葉の葉っぱを持って帰るメンバーもいた。
庸明寺だったか
路線バスのバス停、駐車場の下にあったが
その門のいしがきに出船、入船の石をはめ込んだ箇所があった。
アゼリアガイドさんが詳しく説明してくれた。
石工さんの隠れた味が出ている。
帆柱が白く見えた。
入船は石垣が門の階段を上がる箇所に
出船は門の外の石垣に帆先を入船は中にむけて
出船は外に向けてあった。
これも聞いていなかったものなので見ることができてよかった。
 四角な竹は今回は案内はなかった。
以前に見たことがある。
水晶も中学時代に仏通寺に探しに行ったことがある。
あまりいい水晶は見つからなかった思い出がある。
  アゼリアガイドさんと別れて
臨時便のバスを待つ間、売店で団子というか菓子を買って
ばんこというか桟敷というかで
座っておちゃを飲みながら食べた。
よく見るとそのお店には、コーヒーセットとか
抹茶セットがあった。
それを買ってその桟敷で飲食してくださいということだったようだ。
 まあ、お店で菓子を買ったのだからいいとするか。
 コロナの時期ではあるが少なめだったかもしれないが観光客はそれなりに来ていた。
15時台の臨時便のバスに乗って帰路に就いた。
皆さん、お疲れさまでした
 スケジュールをつけておきます。
若干、変更した面もありますのであしからず。

 スケジュール
>  往路
>   8時50分 三原駅4番バス乗り場集合
> 三原駅(4番乗り場)仏通寺行  9時08分発 → 仏通寺 9時48分 (芸陽バス 630円)
>  仏通寺 10時 高坂自然休養村入り口 10時15分 (約1キロ)
> 自然休養村 公園 経由 → 高坂自然休養村管理センター 11時30分(昼食と休憩)
> 12時10分 休養村管理センター 出発 → 13時 仏通寺
>   (仏通寺、二重塔などの見学)
>  アゼリアガイドに寄る仏通寺と二重の党などの歴史観光 本殿の拝観も含む
> 約2時間
>  帰路
> 仏通寺 15時35分発 →三原駅 16時10分 (芸陽バス630円) 
>  @三原市内の古刹 仏通寺は高坂町にあり、臨済宗仏通寺派です。
>  本堂、二十塔、などがありそばに川が流れています。 近くにキャンプ場、昇雲の滝
>   などがあります。
>  この時期は本堂などに拝観することができます。入館料300円です。
>  珍しい角竹があります。
>  この時期は紅葉が見頃です。
>  高坂自然休養村は公園がありブドウ狩りなどができ、よもぎうどんなどがありました。
>  A三原歴史観光ガイド(アゼリアガイドを依頼したので、ガイドを聞きながら本殿の
> 拝観や百段以上の階段を上がり二重の塔などを見学します。
>  ガイド料 2000円
> (ガイドさんの駐車料金 500円と入館料 300円は負担しなくてもよい。
> B主に車道の歩きです。
>  休養村から仏通寺までの経路で整備された山道を通ることもできます。
>  C持ち物は、リュック、帽子、スニーカー、弁当、お茶、雨具、身障手帳、携帯電話、
>  優待券、常備薬、その他 必要な物。
>  Dトイレは自然休養村の公園、自然休養村管理センター、仏通寺などにあります。
>   E少雨決行です。
>
>  
>
>  バス時刻
>  11月14日から23日 臨時便が運行
>  三原駅 → 仏通寺
>  9時08分
>  10時40分
>  11時55分
>
>  仏通寺 → 三原駅
>  11時50分
>  12時54分(本郷駅行)
>  13時49分


三原市木原町にある鉢ヶ峰の中腹にある観音寺奥ノ院の展望台に上がって撮影 南側には瀬戸内海の眺望が開ける。 期日 令和2年10月14日
行先 八ヶ峰(429メートル) 三原市
参加者 7名 (代表 元谷義治)
木村夫妻、小銀さん、園田さん、萩野さん、元谷義治と西本さん(同行援護)
 ヤマガラの会で八ヶ峰の登山に行って来ました。
 三原市木原町から糸崎町にある山です。
標高は、429mです。
 今日はお天気も良くて
きんもくせいがあちこちで香る秋らしい1日でした。
 参加者は7名でした。
 奥の院までの山道で修復作業をされている方が数名おられました。
「ご迷惑をおかけします、頑張って登ってください。」
と激励されました。
 アケビが鳴っていたようでとろうとしたら、転びそうで危ないので辞めたと
仲間が言っておられました。
 観音寺の奥の院に行く山道も、奥の院から八ヶ峰の山頂に行く山道も
整備されていて登りやすかったですね。
 八ヶ峰は429m
奥の院の展望台は、320m
御山は160mでした。
曇りでよかったです。
晴れる時間は少し暑かったですね。
以下にスケジュールをつけますね。
 スケジュール
9時47分 三原駅2番乗り場発 → 10時 観音寺下 (鞆鉄バス 登山口行370円 ) 
 10時10分 登山 開始
11時30分 観音寺 奥の院 (所要約1時間) 
 11時30分から12時30分 (昼食と休憩  約1時間)
12時30分 山頂に向けて登山 開始
13時10分 八ヶ峰 山頂 429m
13時20分 縦走 開始
14時 御山 到着
14時20分 下山 開始
15時 糸崎神社
 15時40分 糸崎神社前 バス停 → 15時55分 三原駅 
(鞆鉄バス 三原駅行 230円)
@八ヶ峰 429mは、三原市木原町から糸崎町にかけての山です。
 南側は瀬戸内海の展望が開けています。
 観音寺(真言宗)の奥の院が八ヶ峰の6合目あたりにあります。
 展望台もあり眺望は瀬戸内海の多島美が見えます。
 A観音寺下からの登山は全部、山道です。
 車道ではありません。
 御山から糸崎神社の下山は車道です。
 トイレは観音寺 奥の院と糸崎神社にあります。
B持ち物は、リュック、帽子、雨具、お茶、弁当、身障手帳、携帯電話、常備薬、お金、その他、必用なもの。
Cコロナ対策で、深入山、高松山等、計画案をみなさんに送っていますが
 コロナが終息してからにしましょう。
 八ヶ峰は路線バス1本で行けます。
 雨天は中止とします。


期日 令和2年10月7日(水)
行先 白滝山  227メートル  因島
参加者 7名(代表 元谷義治)
 笹田さん、園田さん、萩野さん、橋本さん、三好さん、元谷が2.

新型コロナの関係から交通機関は1本だけにして、多数の人々との接触をなるべく避けるということから
近場の山を選んでいます。
 何回も言った山ではありますが、因島の白滝山に決めました。
 三原港からフェリーか高速船で行けます。
フェリーは30分、高速船は20分程度です。
 重井港からはフラワーセンターに行き、その横を上がって登山口になります。
坂道の車道を上がって駐車場があり、そこからは狭い山道に変わり
その後に階段状の山道になります。
 山門があり本格的な山道です。
杖も置いてありました。
浸かったらまた同じ場所に返すといった感じですね。
 晴天で海も青く光っていました。
 11時30分には山頂に辿り着きました。
 観音寺の境内の東屋のような建物にリュックなどを置いて
さらに展望台まで行きました。
行く途中に、五百羅漢があります。
その間を抜けて歩きます。
鐘楼がありその横が展望台です。
鐘楼の鐘を突く方もいました。
360度のパノラマです。
 北側は本土で三原市の糸崎町や木原長がみえます、
西側は本土の巣南町や幸崎町です。
佐木島なども見えています。
 南側は、生口島などです。
東側は迎島や佐島 
弓削島などです。
霞もほとんどなくて、よく晴れて眺望も抜群でした。
 すっきりとさわやかな風景が目に飛び込んできます。
 展望台で記念写真を撮りました。
 釈迦三尊の仏像が並んで展望台の横にありました。
 少し落ち着いたところで、観音寺の境内の東屋に戻り、昼食です。
 ここは履物を脱いで上がります。
南側は開けています。
北側には観音寺の本堂があります。
登山客も来ていましたね。
外国人のグループにも会いました。
 おむすびなど、おいしくいただきました。
 観音寺に参拝して、その裏側にある、力士が山に運んだという大石を見ました。
悲恋物語の娘さんと力士の恋物語がありました。
いわれが書かれています。
 山頂で約1じかんあまり、楽しく過ごしました。
何せ、風景がよくて、瀬戸内海の多糖日を堪能しました。
 私はよくは見えていませんが、周りの晴眼者が見て、口に出していってくれるので
代わりに見てもらっているので自分も見た気持ちになるのです。
 いつも、人が見たことをさも私が見たように書くので
せの文章を読んで、私がよく見えるのかと勘違いされる方がいます。
 見えないとばかり書くと文章も暗くなりますからね。
 ご了承くださいね。
 さあ、下山です。
階段道は注意を払いながら転倒しないようにペアの方のリュックをもって
自分の白状をついて段を確認しながら
場合によっては、横歩きをして降りていきます。
横歩きは私は効き足があって、右足を残して
左足を下におろして階段を確認しております。
左足が2段も降りても右足に体重が残っているのでずるっとは滑りません。
不規則な階段ではちょっとうまくいかない場合もあいますが
安全にに歩くように注意しています。
 階段道が
にあまり慣れないメンバーがいて
途中で分かれ道があり、駐車場に降りて車道に繋がる山道に切り替えました。
 だいぶ、階段道を省けました。
行きもここを通ればよかったのかも知れませんね。 車道を下りて、フラワーセンターに寄りました。
 渙散とはしていましたが
広くて、温室にはいくらか花も咲いていました。
 芝生の広場で寝そべればよいような雰囲気でした。
 除虫菊のことも看板に書かれていました。
わずか、作っているようですね。
因島は除虫菊の島だったのですからね。
 職員のおば様にいくらか話を聞くことができました。
 ベンチに座ってコーヒータイムです。
 さわやかな気分で
重井港に着きました。
待合室で少し待って
船の人になりました。
帰路は軽い疲れでうとうとしながらみはらこ三原港に戻りました。
 よい山登りでした。
 後にスケジュールを付けます。

> スケジュール
> 三原港発 9時31分  → 重井港 9時50分(土生商船 高速船 810円)
> 重井港 10時 出発
> 因島フラワーセンター横(登山口) 10時30分
> 11時30分 白滝山(227m)  昼食休憩 11時30分から12時30分)
> 12時30分 下山 開始
> 13時30分 登山口 
>  フラワーセンターあたりを散策
> 14時30分→ 重井港 
> 重井港発 15時08分 → 三原港 15時30分
>  (次は 16時26分発 → 16時48分着)
> @因島北部、重井町にある白滝山は
> 瀬戸内海の多島美が眺望できます。
>  山頂には、五百羅漢があります。
>  観音寺があり、力士との悲恋物語があります。
>  十字架のある墓石もあります。
>  A 市迎香重井港から登山口までは車道です。
>  登山口からもう少し登ると山道になります。
>  B持ち物は、リュック、スニーカー、帽子、弁当、お茶、雨具、携帯電話、常備薬、身障手帳
> その他、必要な物。
> Cトイレは重井港、白滝山の山頂の観音寺境内にあります。
>  フラワーセンターに寄れば、そこにもトイレはあります。


佐木島の鷺邸玄関前で撮影昨夜のバーベキューはおいしかった 期日 令和2年9月12日と13日

行先 佐木島 ウォークと鷺邸でのバーベキュー 

参加者 6名(代表 元谷義治)
 薗田さん、萩野さん、船津さん、渡辺さん、元谷が2.
 日帰りは、3名
 木村夫妻、子銀さん。
視覚障害者のグループに呼び掛けて希望者が行くことになりました。
 初めは9名くらい希望があったのですが
日帰りの佐木島一周の予定に変えて参加という方も出てきました。
それもいいかなと思い、参加してもらいました。
 やはり新型コロナが気になるようでした。
 泊りがけも二人減って7人になりました。
  バーベキューの食材などを運ぶのに、車が必要であり
車を運転する仲間にまず呼び掛けて参加をお願いしました。
快く、参加してくださることになりました。
軽4を運転して行くことになりました。
 それから家内と一緒によく動いてくださる仲間の方にお声がけして
参加してくださることになりました。
 料理教室がしばらくお休みなので、日曜日に料理教室によく参加してくださる方にお声がけしました。
 ウイークデーは勤務がある方です。
 喜んで参加しますとのメールが来て、ほっとしました。
 それから、ヤマガラの会のメンバーに呼びかけました。
やはり泊りがけは難しいと言われる方が何人かいましたね。
 全盲の方で不眠症だといわれる方が参加するか否か、なかなか決断ができないでいました。
 もう一人の全盲の方が行ったら行くという他力の日和見的な考えを言われていました。
 家で親の介護がある方は無理だとのことでした。
 いつもの、ヤマガラの会は8人から10人の参加ですが
少し減りました。
 その日の朝に泊りをドタキャンの方もあり日帰りに変わりました。
 日帰りが3人
泊りが6人となりました。
 1週間前から天気予報をちょいちょい見ていたのですが
12日は雨模様、13日は曇りのち晴れでした。
 近づくにつれて、12日も13日も雨が降る予報になっていました。
 鷺邸を予約してあることもあって、そうそう中止にするというわけにはいきません。
 前日は12日は雨という予報が有力でした。
 台風10号は1週間前に過ぎていたのですが
秋雨前線が出来て、西日本はあちらこちらで雨模様でしたね。
 当日は朝早く5時ころは雨は降っていませんでした。
しかし8時ころから雨が降り始め、それから本格的に降り出しました。
 9時半に軽4で荷物を運ぶために来てくれました。
雨に濡れないようにして荷物を積み込みました。
 グランで買い物をしているグループのクーラーボックスなどをグランで積み込みました。
そして三原港に行きました。
 10時過ぎでした。
 歩いてくる方々と待合室で合流しました。
10時35分発のフェリーに乗り込みました。
 雨が本降りでした。
だが、鷺港に11時に着くころは雨が止んでいました。
ラッキーです。
 佐木島ウォークのコースを変更して鷺邸に直行しようかとも思っていました。
 チェックインが午後2時でした。
オーナーに連絡すれば何とか早いチェックインも認めてくれるだろうと思っていました。
 雨が止んでやれやれです。
 メンバーに、照美さん、明美さん、晴美さんがいます。
この方々の恩恵でしょうか。
鷺港から南下して須上の島のパン屋さんでパンを買ってコーヒーブレークの予定が
もうコーヒーはやっていないとのこと。
パンを買って店の外、つまり路上でぱんを食べました。
 隣のポニーの頭をなでて
坂を超えて向田港のコミセンに到着です。
ここで持参の弁当を食べました。
このころには陽がさしていました。
ワレ石地蔵を港の海辺が干潮で触ってみることができました。
これはラッキーでした。
 島の西側を北上して第5北側丸遭難の碑を見ました。
植樹で寄付された市長さんほかの名前を刻んだ碑がありました。
少し小高い場所に北側丸遭難の碑が大きく立っていました。
 それからしばらく歩いて太平山の登山口の手前で鷺邸に入りました。
 午後3時でした。
 荷物をおろして、日帰りの3名は
軽4に乗って鷺港に行きました。
 後はオーナーと少し話した後でバーベキューの準備です。
ご飯を炊いたり、食材の肉や野菜を用意したり
炭火をおこしたりなど、分担して取り組みました。
 ヤマガラの会で10年くらい前に、バーベキューをしたのを思い出しながら
泊りがけはやはり記憶に残っています。
棲真寺山オートキャンプ場で1泊2日で行ったのです。
あの時は、今、病証におられる貞井リーダーが中心に動いてくれたことを覚えています。
三原山の会から大型テントを借りてきて組み立ててくれました。
 バンガローを2棟借りて、男女別に入りました。
いい思い出ですね。

  

尾道市の岩子島の一周の途中、昼食で休憩した島の南西にある厳島神社の海にある鳥居の前で撮影 期日 令和2年8月28日(木)
行先 岩子島ウォーク 尾道市
参加者 8名(代表 元谷義治)
 木村夫妻、園田さん、萩野さん、橋本さん、三好さん、安永さん、元谷義治。

猛暑の中、8名が参加した。
尾道駅前の渡船で向島に渡り
太平タクシー2台に分乗して向島大橋のたもとまで行った。
そして岩子島の南側を海岸線に沿って
ほぼ4キロ歩いて厳島神社の鳥居に着いた。
海に浮かぶ赤い鳥居をバックに記念写真を撮った。
 そして本堂の前あたりの松林の間で弁当を食べた。
さざ波の音がして
つくつくぼうしがよく鳴いていた。
おいしく弁当を食べることができた。
 島の西側の道は峠道でだいぶ登った。
峠でみんないうともなく休んだ。
 今度は下りである。
海がよく見えてきた。
北側に見えるのは三原市木原町から尾道市吉和町、新浜町などである。
Jэ尾道僧帽病院も平原の丘に見えていた。
尾道水道である。
岩子島と向島の間の瀬戸に入った。
 水上スキーをやっていた。
スキーの方がジャンプしたが
ずっこけて海の中だ。
すぐにモーターボートは止まった。
やっと向島大橋まで戻った。
 昼食を摂った厳島神社から5キロくらいはあったかな。
まだ駅前渡船の乗り場まで歩く予定だったが
これも、あうんの呼吸で
みんなに訊くこともなく
タクシーを呼んだ。
みんな疲れていたのである。
あの猛暑の中、晴雨兼用の傘をさして
よくも歩いたものである。
 これも熱中症になる者も鳴く
脱水商もなく
全員が大変な疲れはあったが
元気に岩子島の一周のウオーキングができた。
ほぼ8キロである。
 向島大橋の長さは140.1m
桁高は14mだった。
あいまいだったので歩いている途中、尾道市役所の観光課に電話して
訊いてみたのであった。
 あるブログで向島と岩子島を算用数字の8の字に歩いた記事があった。
15キロとあった。
これは向島も岩子島も全部海岸線に近い道路を歩いたのではなかった。
途中、ショートカットしていた。
向島と岩子島をどちらも海岸線の近くを一周したのであれば
15キロ以上になるのだ。
ちょっと聞いただけでは、海岸線に近い道を一周したのかと思うではないか。
 尾道駅について、かき氷があるとみんなで
食べたがっていたが
渡船の中で早く帰らないといけない方がいて、こちらに訊かれて
三原に4時までに帰れると返事したものだから
かき氷は辞めて、列車の人となったのだった。



鳴滝山の9合目あたりにある八注池のそばで撮影 期日 令和2年7月9日
行先 鳴滝山 402メートル  三原市と尾道市 
 参加者 8名(代表 元谷義治)
 木村夫妻、子銀さん、笹田さん、園田さん、萩野さん、
安永さん、元谷義治。
 
 夏場のヤマガラの会は
7月初めに実施し、8月の終わりに行う。
7月9日に鳴滝山に登った。
402mである。
2年前の豪雨災害の関係で道路の補修工事をやっていた。
人も通れず、う回路を通ることになった。
8名、全員が元気に登った。
といっても、おひとりが熱中症か脱水症か、呼吸がぱくぱくの状態になった。
大事に至らず、軽くて元気になった。
 9合目の池のほとりのベンチで休んでもらった。
といっても全盲の彼女なのでもう一人自主的に残ってもらった。
後の6人は展望台まで行って弁当を食べた。
 その隣にハンググライダーの離陸基地がある。
上りよりも下山はうんと早かった。
登山口のバス停に予定より1時間も早く付いた。
 30分早く着いたならば余裕なのだが
1時間は長い。
待合室の中やらその外に立ったり座ったりで雑談をしていた。
 福山から来たメンバーが少し早めに尾道駅行のバスに乗った。
後の者はその後の路線バスで三原駅に帰って行った。
 梅雨の合間で雨にならずによかった。
 7月の上旬に鳴滝山
8月は下旬に岩子島ウオーキングだ。


三原市小泉町にある白滝山の山頂の八畳岩で撮影  期日 令和2年5月29日
行先 白滝山(340メートル) 三原市
参加者 8名(代表 元谷義治)
 木村夫妻、薗田さん、萩のさん、橋本さん、三吉さん、安永さん、
元谷義治。

三原市の白滝山は何度も登る山である。
私の勤務する職場からも近いのである。
遠足でも何度も登った。
瀬戸内海国立公園である。
 一般タイムは登りが1時間あまり、げざんが約50分あまりだ。
 これは休憩なしのタイムである。
 一人や二人が登るのならば参考になるが
10人くらいのグループともなると、やはりタイムは遅くなる。
 豪雨災害で通行止めになっていたが修復工事も終わって通行止めは解除されていた。
 登る途中にそう思わせる箇所があった。
 笹百合が咲いていた。
写真に撮った。
 8合目の駐車場に東屋がありそこで大休憩をとった。
ここは黒滝山に行く山道との分岐部でもある。
 鶯などの鳴き声を聞きながらのんびりと登って行った。
 ここからは右側すなわち南側の瀬戸内海の眺望はよくなる。
駐車場までは右側、南側は山なのである。
 晴れ晴れとした開けた風景に心も癒された。
20分もしたら山頂に近い竜泉寺の境内である。
樹木の日陰もあった。
昼食休憩の前に後少しの山頂まで行った。
鐘楼がありそこで鐘を突いた。
隣に、八畳岩がありそこにも登った。
 岩の周囲は囲いもなく、滑り落ちると危ない。
周囲、360度のパノラマである。広島空港も西に見える。
 やはり南側の瀬戸内海の多糖日にはかなわない。
 写真を撮ることにした。
周囲の風景はすぐに撮れた
岩に登っている方々の写真はカメラマンが立ち上がって、反対に向いて
後ろに転んだら岩から崖に落ちてしまう。
そんなもぞもぞとした高所恐怖症的な感じを受けながら撮影するのである。
 三好さんがカメラマンであった。
怖いといいながらも頑張って撮ってくれた。
かつては、貞井リーダーが、八畳岩の上でハーモニカを吹いて皆さんを喜ばせてくれたことを思い出していた。
そこそこに竜泉寺の境内まで降りて
昼食の弁当である。
 木陰があってそこにシートを敷いてあるいはベンチがあったのでそこに座ってゆっくりと食べた。
周りは桜の木や火輪の木があった。
 この寺は住職さんがアメリカ人で
グリフィン、ドーイクさんといった。
今では帰化して日本人である。
 昼食後境内の下にある展望所に行った。
東屋のようなもので展望はよかった。
上に仰いで山頂の八畳岩が見えた。
前には黒滝山がみえた
もちろん瀬戸内海の島々も見える。
 そして下山である。
すいすいと降りて行った。
 小泉小学校前のバス停からの路線バスは1時間に1本あればいい
15時25分だったか、それしかないので
宝くじさくら植樹記念広場で大休憩をとった。
 タブレットをもってきていた方が音楽を流したら
空オケで歌おうという方があって
タブレットを捜査して空オケを出した。
森まさ子の
「先生」
という曲だった
 楽しくみんなで歌って過ごした。
 雑談もいろいろとあった。
 いわゆる時間待ちをして
もうすこし下山した。
よく晴れたいい季節の一日だった
 軽い疲れを覚えながら帰路のバスの人となった



 期日 令和2年3月
行先 三原山 伊豆大島
 新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止。


広島市戸坂の松毬山の山頂 アンテナがあり桜が植樹されていた  期日 令和2年2月20日 行先 松毬山  広島市
参加者 7名(代表 元谷義治。)
 小銀さん、木村夫妻、園田さん、萩野さん、元谷が2.
 ひろしましの戸坂にある松笠山に登った。
3度目になるかな。
 芸備線の戸坂駅で下車。
踏切を渡って、寺の境内を通り過ぎて登山口である。
階段状の山道になる
 整備された山道だった
 眺望はあまりよくなかった
 観音寺があり境内にお堀があった。
飲める水とあったので少し飲んだ
おいしかった。
 鐘楼の鐘も突いた。
 冷涼な感じがする場所だった。
少し休んだ後、山頂のピークは越えた感じで縦走した
やっと山頂のアンテナのある場所に着いた。
 桜の植樹をしたという記念植樹の桜が何本もあった。
中学生の卒業記念だった。
看板がまだ読める。
もう20年くらい経過していた。
桜も大きくなっていた。
 昼食の弁当を広げて周囲の山々を見渡しながら食べた。
海は見えない。
 下山したのは、戸坂中学校のそばだった。
クラブ活動をしている時間だった。
 中学生がすれ違って挨拶をしてくれた。
さわやかな感じである。
結構、登りがいのある山だった。
 松笠のような形をしているのかな。
歴史のある山だった。
 戸坂中学校前のバス停から広島駅に向かった。
駅ビルで時間待ちをして
電車の人となった。





糸崎町にある太平山の山頂 パラボラアンテナがある 期日 令和2年1月30日
行先  大平山と糸崎神社 三原市糸崎帳
参加者 11名(代表 元谷義治)
 小銀さん、木村夫妻、笹田さん、園田さん、萩野さん、橋本さん、松田さん、
安永さん、元谷が2.
 新年初めのヤマガラの会の山登りとして
初詣登山にしました。
 以前も、2社詣でをしました。
岡山県の吉備津神社と最上稲荷でした。
 東広島市の神社と竜王山に初詣登山でいったこともありますね。
 宮島の厳島神社と弥山にも行きましたね。
 いろいろと思い出しています。
 三原駅を9時47分発の路線バスで糸崎神社のバス停で下車。
10時ころでした。
 笹田さんと萩野さんは途中乗車しました
 まずは糸崎神社に初詣です。
 本殿で、今年の健康安全を願ってお祈りしました。
 境内の西側に高さ30メートルで胸の高さでの周囲が13メートルもある楠があります。
それを触っていいことがありますように祈りました。
 それから登山開始です。
10時30分でした。
 車が山頂まで上がる車道があります。
神社からは少し西側の道を歩き山陽本線の踏切を渡って
坂道になります。
右にかーぶすると御山と大平山の分岐になります。
北側の大平山に向かいます。
来たに上ります。
 左に川がありますが右に移動します。
ある程度登ると左にカーブします。
それからは西に向かって道は坂を上がっていきます。
左手に瀬戸内海が見えています。
北側は山の 斜面です。
 車道は比較的に整備されています。
山頂にはJRの無線中継基地がありパラボラアンテナが立っています。
その管理にこの車道が必要なのです。
いざ 
修理に行かなければならないとなると車が通れないようでは困ります。
そんなので車道は整備されているのですね。
 山頂まで何メートルか車道の路面にぺんきで数字が書かれています。
100メートル毎にあります。
 後、どれだけで山頂にたどり着くかわかるのです。
これは便利です。
 ランニングコースにキロ数を書いてあるのと同じですね。
 登れば暑くなりじゃんばーを脱いで軽装になりました。
 少し、水分摂取の休憩をとって
歩き始めます。
 それほどの急坂ではないので
息は切れません。
スローペースでもありますがね。
 12時少し前に到着です。
 約1時間20分くらいでしょうか。
 パラボラアンテナの南側の駐車場スペースで昼食弁当です。
 それぞれにシートを敷いて早速、食べ始めます。
 南側の瀬戸内海の眺望はよいです。
 カップにコーヒー、熱いお湯を注いで
みんなで飲みました。
ほっとしました
 12時40分に下山開始です。
 降りるのはそんなに体力はいらないので
足が疲れないようにゆっくりと降ります。
 私はよこぶえを持ってきていたので
危なくない箇所では笛吹になりました。
うまくない笛を吹いて、皆さんのお耳を汚しました。
 さわやかな空気ですっきりとしていました。
 50分で神社に降りるのと西の神明の里に行く道路との分岐にたどりつきました。
すこし休憩して、神明の里に向かいました。
約30分で到着です。
 大休憩です。
 蛸焼などを食べたり
飲み物を飲んだり、あるいは
お土産を買ったりしてゆっくりとしました。
 神明の里の蛸焼はおいしかったです。
 さあ、もうわずかで三原駅です。
 30分くらい歩いてやっと三原駅に到着しました。
 途中で、お二人は別れました。
 足は疲れましたが、気分はさわやかでした。
 福山に帰る方もいます。
 バスに乗って帰る方もいます。
 皆さん、お疲れさまでした。